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キャンパスライフ

教員のエッセイ

「黄色ワイン」

 「黄色ワイン」などと言い出すと、もしかして「どこか身体の具合が良くないのですか?」と思われるかも知れないが、ヴァン・ルージュ(vin rouge)が「赤ワイン」、ヴァン・ブラン(vin blanc)が「白ワイン」と日本語に訳されるとすれば、ヴァン・ジョーヌ(vin jaune)を「黄色ワイン」、あるいは「黄ワイン」と訳すのは妥当なことである。ただし、白なのか赤なのかと、更につっこんで聞かれたとすれば、数ある白ワインのうちのひとつである、と答えるべきだろう。しかし、他の白ワインとは全く違うと言ってよい程にその性質は異質、いや異彩を放っている。


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 有名人の嗜好を押しつけたり、押しつけられたりするのは嫌いであるが、フランスの友人によると、「かのナポレオン1世が、これこそが最高の白ワインだと言ったんだよ」ということであった。将軍としてのナポレオンの天才にはもちろん感服し敬意を払うが、味覚にも同等な天分が発揮されていたのかな、などと思っている間にその友人は、「でもね・・・」と付け加えることを忘れ無かった。

 白ワインについての私の嗜好は、すっきりとした辛口である。これは将来においては変わるかも知れないが、まず口の中にその味を思い出すのが、アルザスのリースリング(Riesling)、あるいは更に香り高いゲヴルツトラミネ(Gewurztraminer)である。前者を飲むと、私はいつも自分の出身地に戻ったような気分になれて、ホッとする。また後者は、赤ワインの後に飲んだとしても何ら問題がないほどに力強いのであるが、口の中にいきなり香り高いバラの花束をねじ込められたような気分になる(実は、ねじ込められるどころか、花束を人からもらった記憶すらない)。そして、黄色ワインはこれとも違う力強さをそなえている。野趣と呼べるだろうか。私は土壌、あるいは大地の香りを感じたが、フランスの友人はクルミや蜂蜜、タバコの香りにも言及した。そう言われるとその通りで、このフランス人の味覚とそのような表現力には脱帽するしかなかった。ワインの香りを表現するのに花にこだわる必要はないのである。実際には、熟成させる木樽の香りなのかも知れない(聞いただけの話であるが、熟成の時に木樽の中でこのワインの表面にできる「産膜性酵母」による香りらしい)。


教会
写真1   ジュラ地方の黄色ワインの産地、アルボワの近くにある「美しい村」のかわいい教会。人口が少ないからクリスマスのミサでもこの大きさで十分なのだろう。山の稜線は平坦に見えるが、その断崖は眩しく白い石灰岩であり、カルスト特有の風景になっている。この地方に生まれた画家であるギュンスター・クールベによる「オルナンの埋葬」の背景にも、同様の山の風景が描かれている(オルセー美術館)。

 アルザスの白ワインは、最近では日本の酒屋でも見かけるようになった。ストラスブールでは、7ユーロも払えば、かなり高品質のものが買えた。しかし、黄色ワインは日本では見かけたことがない。黄色ワインの産地は、アルザスの南、スイスと国境を接している、フランシュ・コンテのジュラ地方である。地質学の年代に使われる「ジュラ紀」や映画「ジュラシックパーク」の「ジュラ」も、ここの地名が由来しており、ラテン語では森林を意味すると聞く。


川
写真2   酒屋が商売を再開するまでの時間つぶしにおとずれた「美しい村」を流れる川。川底は石灰岩であり、不思議と蚊に悩まされることもなかった。

 今世紀最初の6月の終わりに、ここジュラの街、アルボワ(Arbois)を訪れた。この黄色ワインに出会うために、ある友人の案内で行ったのだった。そのめあての店に着いたのは12時ちょうどくらいだった。店に入るなり、3時まで閉めるから後で来てくれと言われる。仕方なくその友人が釣りを楽しむという近くの村に足をのばした。その村は真っ白な石灰岩の断崖に囲まれた渓谷にあり、緑と花におおわれていた。青く広がる空と大地の境には山の頂に沿った薄い緑があり、そのすぐ下には石灰岩の白いベルト、そのベルトに囲まれた村には木々と牧草地の緑、そして花の赤色が満ち満ちていた。清流は鍾乳洞を思わせる川底を持っているのであるが、これは小さなカルストしか知らない日本人の貧しい連想だろう(ちなみに、「カルスト」はイタリアの東に接するスロベニアの地中海地方の呼称が起源である)。私にとっては、ここは何度でも訪れたい村の一つになっている。「美しい村」と言われるとここを思い出す。


 さて、3時間も待つのは大変のようだけど、フランスではさほど問題にならない。フランス人と食事をすれば、それはあっという間である。その際には、ここ特産のコンテ・チーズをすすめたい。また、アルボワならば、博物館になっているルイ・パスツールの家を訪れるとよいだろう。


ルイ・パスツールの家
写真3   ルイ・パスツールの家(La Maison de Louis Pasteur)は博物館になっている。

 その店に戻り、日本から来たと挨拶すると、そこの女性店主は、いきなり「大量生産をして品質を落とすつもりはない」と言うのだった。どうやら買いつけに来た商社の人間だと思われたのだろう。一度飲んだ黄色ワインにもう一度出会うために、そのためだけにやって来たことを丁寧に説明した(もちろん、本当のところは学会講演の寄り道である:断じてその反対ではない)。すると、今度は「1リッターくらいなら試飲してもいいわよ」ときた。冗談だと思っていたのだが、リッター単位で試飲する人も実際に居るらしい。葡萄はサヴァニャン種、収穫は他のワインに比べてかなり遅めに、年によっては数ヶ月も後に行われると聞いた。そして収穫された葡萄はさらに選別され、一部だけがワイン造りに用いられるとか。とても大量生産なぞ出来やしない。木樽の中での熟成期間は6年以上。これは法定だとか。そして、さらに肝心なこととして、同じことを他の地方でやったとしても、黄色ワインには絶対にならないらしい。このジュラ地方でしか作れないのである。100年以上の保存が可能だとも言う。そして、ボトルの形も個性的である(720mlよりも少ない)。


酒のビン
写真4   写真を撮っておくべきことに気がついたのは空になってからだった。左がポンタルリエ(の空瓶)、ブザンソンの街では、「ポンを下さい」と言えば、これが出てくる。右が主題の黄色ワイン(のボトルのみ)。

 昨年は残念ながらジュラを訪れることは出来なかった(車や電車では何度か近くを通過したが)。しかし、ブザンソン(Besançon)を訪れた時に、スーパーマーケットで黄色ワインを見つけた。さすが、地元である。価格は25ユーロほどだった。シャトー・シャロン(Château Chalon)の年ものである(写真右の背の低いもの)。黄色ワインと言うからには色をお見せするのが筋のようにも思うのだけど、そのようなことを思いつく前に既に飲んでしまったので、これは空瓶である。左のものはポンタルリエ(Pontarlier)とよばれるやはりフランシュ・コンテ特産の、アニス(anis)が原料のお酒である。こっちは水を注ぐと白濁するのであるが、パティス(Pastis)やギリシャのウゾ(Ooze)と同じカテゴリーのものだと思う。生産の免許を政府からもらうのが難しいらしくて、数年後にはフランスのアブサンのように消える運命かもしれない。


 今までに黄色ワインは4回試したことがある。最も思い出深いのは、最も最近のもので昨年のクリスマスでのことだった。クリスマスの夜を友人の奥さんの実家であるモンベリヤル(Montbéliard)で過ごした。友人の出身地もここであり、ライオンのエンブレムを持つフランスの有名な自動車会社の発祥の地でもある。クリスマスの食前酒に、その友人が大学生だったときに買い込んだ1985年ものの黄色ワインをもらったのだった。あれは18年目だったのか。保存が長くなると野趣が洗練されてくるように思えるから不思議である。


パスツール像
写真5   アルボワにあるパスツール像、ここでの彼の研究対象は黄色ワインだったのか?ところで、理系の研究論文においては、それを読んだ人がその内容を再試できるように書くことが求められる。そのような現在の形式において、研究論文を書きはじめたのは他ならぬ彼である。

 さて、チェルノブイル事故よりも以前のワインが飲めたということは別な意味で貴重であったかも知れない。そして、放射能汚染でなくとも、いいワインはいい環境でしか造れない。高価なものと言う意味ではなく、品質のよい食材やワインにこだわるということは大切なことだと思う。決してこじつけではなく、それは地域の環境、地球の環境を保全することにつながるからである。今から100年後にも同じように黄色ワインを造るためには、地球の温暖化は絶対に防止しなくてはならない。私たちの子や孫、曾孫にもこの黄色ワインに感動する機会を残したいからである。


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 黄色ワインについて書いているからには、どうしてもその黄色をお見せしたい。しかし、いまから手に入れるのは難しい。そこで代替品になってしまうが、私がこれまでに見たワインの中で、その色が黄色ワインに最も似ている白ワインの写真を示そう。


シャトーディケム
写真6   シャトーディケム1995。2003年末のストラスブールでは この1本しか見つからなかった。

 貴腐ワインとして知られている、シャトーディケム(Château d'Yquem)の1995年ものである。ボルドーかパリに行けばまた違うのだろうけど、昨年末のストラスブールにはこれ1本しかイケム(Yquem)は無かった。一緒に探してくれたあちらの院生は、イケムの名前は知っているけれども、見たのは初めてだと言っていた。もちろん、私も見たのはこれが初めてであった。

 ナポレオンが飲んだ黄色ワインは、私が飲んだことのあるものとは既に違っているのかもしれない。友人から、彼が黄色ワインを「最高の白ワイン」と呼んだと聞いてすぐには合点がいかなかったのは、このイケムが頭に浮かんだからであった。彼はイケムよりも黄色ワインが美味しいと思っていたのだろうか。私の意見はと言えば、まだこのイケムを飲んでいないので何とも言いようがないのである。これを飲むと白ワインについての嗜好は変わってしまうかも知れない。

 黄色ワインの方は、私自身は不案内なのであるが、シェリー酒に似ているよ、という話を最近になって聞いた。幸いにも今年の夏には、スペインでの国際会議があったような。ついでに寄ってみるか?



(T. Y., Fukaeminami-machi, 11 Février 2004)