ドルマバフチェ宮殿 Dolmabahce sarayi

 イスタンブール(ボスフォラス)海峡に面して建つ「水の宮殿」と呼ばれるトルコ政府が管理している建築物である。オスマン帝国初期の1611〜1614年、スルタン・アフメットI世は、海軍が錨をおろした小さな入り江を埋め立てさせ、広大な庭園に木造の離宮ベシクタシ宮殿を建設した。

 19世紀に入って、父帝メフメットU世の始めた近代化事業を継承したアブドゥルメジットI世は、16歳で帝位につくと当時の住まいであったトプカプ宮殿の一部を、その数年前の火災で使用不可能となったベシクタシ宮殿の土地に建てる新宮殿(ドルマバフチェ宮殿)へ移すことにした。1839年に戴冠したオスマン帝国の第31代スルタン、アブドゥルメジットT世は、建築家カラベト・バルヤン(アルメニア出身)に建設を委託した。1843年に着工した工事は、13年後の1856年に完成。現在の宮殿名−ドルマバフチェ−は、“埋め立てられた庭”を意味している。

 宮殿で15年暮らしたアブドゥルメジット以降の皇帝達は、ほとんどが自らボスフォラスの岸辺に造らせた小宮殿を日常の住まいとしたため、ドルマバフチェ宮殿は公式行事の行われる迎賓館の役割を担うことになる。オスマン・トルコの栄華を伝える絢爛豪華な調度品の数々は一見の価値がある。ヨーロッパの一員であることを強調する為に、パリのルーヴルやロンドンのバッキンガム宮殿を模倣し、使用された大理石はマルマラ海から、御影石はベルガモンから搬入された。天井画や油絵にはイタリア、フランス画家達の作品が購入され、特にロシアのアイワゾウスキーの絵は好まれたようである。内装の為に14トンの金と40トンの銀が使用されたと言われている。家具類はパリから、壷はセーブル、絹の布や敷物はヘレケやリヨン、クリスタルはバカラ、燭台はロンドンから特注のものが取り寄せられたという。大判131点、小ぶりの物99点におよぶ手織り絨毯のほとんどは絹仕様で、ヘレケの皇室御用達の工房で織られた“芸術品”である。これらすべてで宮殿の床4.500uが覆われている。2階まで吹き抜けになっている巨大な「帝位の間」は、各国の大使を招いた戴冠式や舞踏会を催すために造られたものである。

 1923年(大正12年)の共和国宣言以降は、建国の父であり初代大統領であるアタチュルクがイスタンブールを訪れた際に使用する官邸となり、1938年(昭和13年)11月10日に長い闘病生活の後に彼がここで息を引き取ってからは修改築されて博物館となった。ドルマバフチェ宮殿は、近代トルコの父、初代大統領アタチュルク終焉の場所でもある。1938年(昭和13年)11月10日午前9時5分、彼はここで息を引きとった。ハレムにある「アタチュルク逝去の間」には、赤いトルコ国旗で覆われたベッド、彼が使っていた椅子や机が置かれ、肖像写真などが飾られている。部屋の時計はすべて9時5分を指している。建国の父として現在も人々の心の中に生き続けるアタチュルクが亡くなった部屋は、宮殿全体に漂う豪華さとは裏腹に、非常にシンプルで質素でさえある。国民に生涯を捧げたこの偉人の人格の一端を偲ばせる部屋である。

 宮殿の見学は、「セラームルク」という男性のためのスペースと、女性のためのスペースであった「ハレム」に分かれ、いずれもガイド付きツアーで見学し、所要時間は約2時間。

衛兵交代 ロウ人形?NO! 宮殿外観
アタチュルク逝去の間
熊の敷物