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キャンパスライフ

教員のエッセイ

「金木犀の香り」

「どうして9日なのに体育の日なんだ」などと思ったのだが、既に17年も前から10月の第2月曜日がその日に定められていたことをようやく自覚した。17年間もぼんやりと過ごしていたことになる。しかし、体育の日がつくられたのは1966年だから、33年ほどは10月10日だったことになる。私の人生ではこちらのほうがまだ長いのだから仕方がないということにしておこう。


さて、この時期になると毎年金木犀が花を咲かせている。この樹は江戸時代に中国から伝わったということなので、その頃から毎年続いているのだろう(もちろん大陸ではそれ以前から)。小学生の低学年まで住んでいた家の庭にも金木犀は植えられていた。私が住んでいたのは離れであったが、母家の方は江戸時代に建てられたものだった。その庭には松や梅、桜、桃、山梔子、無花果、ツツジ、椿、木蓮も植えられていて、地面には一面の苔が生えていた。残念ながら今は公園になり、桜しか残っていない。その金木犀はやや日当たりのよろしくない場所にあり、あまり元気の良さを感じさせない樹であったし、香りの印象もほとんどない。しかし、幼稚園や小学校への通学路にあったある御宅の金木犀は全く異なっていた。それは通りに面し、いつも陽の光を浴びていて、うちのものとは対照的に、強烈でありながら清冽な香りを惜しみなく周りにふりまいていた。圧倒的な存在感を誇っていたと言えるだろう。

小学生の私はそれが苦手だった。香り自体が嫌いというわけでは決してなかったのだが、不安感、孤独感、あるいは焦燥感をかきたてる香りになっていた。なぜかというと、金木犀の花が咲く時期に、運動会があったからである。そこでの徒競走とやらが嫌で、本当に嫌でたまらなかったのであるが、そのついでに金木犀の香りも苦手になったのである。嫌だったのは、言うまでもなく、走るのがすこぶる遅くて、人より速く走れる見込みすらどこにもなかったからである。勝つ見込みのない競争を強制され、その様を人様に観られるのが嫌だったのである。金木犀の香りを感じると、お尻のあたりがなんだか寒くなり、落ち着かなくなり、鳥肌が立つ始末だった。「目立つのは一番前を走っている子だから、遅い子なんて誰も見たり、名前や顔を覚えたりしないわよ」とでも言ってくれる人がひとりでも近くに居ればよかったのであるが、父親が国体とかにも出ていたので、周りは皆んな私の走りを期待していたのである。そして、毎年、毎年きっちりとそのような期待を裏切っていた。


まだ蕾の金木犀の花
まだ蕾の金木犀の花

「運動会なんか止めちまえ、体育の日なんかクソ食らえ」と主張する元気でもあればよかったのであるが、走るのが遅い男の子にそれを期待されると、金木犀の香りがもっと苦手になっただろう。足が遅いがために、花の匂いまで苦手になった。何とも気の毒な、救えない話である。徒競走が苦手で、もしもやる気があったとしてもどうしょうもなかったその現実は、その男の子の人格形成にいよいよ悪影響を及ぼそうとしていた。幸いにもその子は、図画工作と家庭科、音楽に救われた。そこに得意なものを見つけることが出来たからである。特に図画工作については一定の尊敬すら集めていたと、今でも自惚れている。しかし、風景画を描いているときに、金木犀の樹を見つけると、素直にそれを絵に描き入れることが出来なかったのも事実である。気が弱いというか、自己主張がないというか、情けない限りである。国語や算数に悪い成績が出たことはあっても、体育の成績は常に凡庸であった。徒競走以外のところを先生が見てくれていたのだろう(しかし、逆上がりも出来なかったように思うので、どう考えても不思議である)。


 * * * * * * * * * * * * * * *

大学院の特別研究を担当するようになったのは、体育の日が第2月曜日になった数年後からである。周辺から見ると、あまり厳しい要求もしない研究指導を続けてきているように見えるらしい。これについては自覚もある。私自身が学生や院生の時期にかなり自由にさせてもらっていたことがまずある。そして金木犀の記憶から、苦手なところをいじるよりも得意なところを伸ばしてみたいと考えていたからである。教育論として、もっともらしくはある。

しかし、幼い子供が相手の場合にはこれでいいのかもしれないが、大学院生の場合には如何なものか。苦手なところを自覚するとたちまち克服して得意になる能力をもっているかも知れない。実際、実験とシミュレーションの両方に取り組む院生が現れ、ある学会で連続して講演や発表に表彰を受けた。それを心底喜んでいる自分がいることに最近になってようやく気がついた。入賞を目指す。この当たり前の姿勢を打ち出していると、私と一緒に活動していた院生たちはもっと活躍できたのかも知れない。彼女ら彼らには申し訳ないが、私は40年を経ても、金木犀の呪縛にまだ囚われていたのかも知れない。結果として、ぼんやりと過ごしてしまったのかも知れない。


明日、金木犀の樹の下で思いっきり深呼吸をしてみようか。


もくせいのにおいが
庭いっぱい

表の風が、
ご門のところで
はいろか、やめよか、
相談してた。
(金子みすゞ)

(T. Y. Fukaeminami-machi, 10 Octobre 2017)