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キャンパスライフ

教員のエッセイ

「Train à Grande Vitesse」

 小学生の低学年の時に、そして確か大阪万博が開催された1970年よりも前に、はじめて東海道新幹線に乗せてもらった記憶がある。大阪在住の親戚の家に泊めてもらっていて、大阪から京都に行くために新幹線をわざわざ使った。今ならば父親が私のことを思えばこそやってくれたことだと理解できるのだが、当時の私には、その新幹線が「ひかり号」ではなくて「こだま号」であったことが悔しくて悲しくてたまらなかった。大人の目からすれば些細なことであるに違いないが、その子はいつまでもベソをかきながら車窓からの風景を眺めていた、ちっとも速くない、などと思いながら。「こだま号」がまき起こす風を架線の電柱が切るリズミカルな鋭い音を聞きながら眺めていたその風景は、果たしてほとんどを忘れてしまったのであるが、私の出身地によく似たところがあったことを覚えている。はじめて訪れた大都会の街並に気持ちが圧倒されていたからかも知れないが、その小高い山々のふもとに慎ましく広がっていた田園風景が印象的であり、故郷を見たような不思議な気持ちになり、やっと落ちついた。後に小倉百人一首で知ることになる水無瀬川が流れている辺りである(その頃に、その地で新幹線を眺めながら育っていた女の子が数十年の時を経て私の今の伴侶になった)。


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 フランスの新幹線TGVは、しばしばティー・ジー・ヴィと呼ばれるが、フランス語読みだとテー・ジェー・ヴェーがより近いだろう。10年ほど前に、ある国際会議に出るためにパリのリヨン駅から、スイス国境に近いフランシュ・コンテの街、ブザンソンまでTGVに乗ったのが最初の体験である。やわらかな欧州の太陽が照らし出すブルゴーニュのどこまでも広がる牧草地や葡萄畑、緩やかな運河、小さな森のアクセント、元気いっぱいのひまわり畑、その黄金を思わせる風景をただただ眺めながら、何故だかふとはじめて乗った「こだま号」のことを思い出していた。


 この国際会議は今の私の出発点になる会議になった。米国サンフランシスコ大学の著名な教授が私の講演の座長を務めてくださったが、そのコメントで予想もしていなかった賛辞をうけた。講演内容でというよりもこの賛辞で参加者の私を見る目が変わったように思う。そして、ここで知り合ったドイツとフランスの友人らと国際共同研究をはじめることになり、それを経験し、後に研究室のみならず、彼らの自宅にもお邪魔するような愉快な、そして心地よい友人になれた。数年後にストラスブールでお世話になる友人ともここで知り合った。会議2日目の講演で私の次に登壇したのが、その会議の参加者の中では一番ハンサムな彼だった(彼の胸元にマイクをつけてあげながら、ほんの一瞬ではあるが、ついうっかり、女性に生まれていればよかったと思ってしまった)。


エッフェル塔
Tour Effel.

 もう一つ付け加えると、この会議で初めて論文の査読を依頼された。いざ任されてみると、やっぱり緊張した(「大学院生の頃」の予行演習とは違った)。引かれている参考文献を読むだけでは不十分であることに気づいた。当然のことであるが、参考文献が妥当であるか否かを判断するためには、当該分野の、そこには引用されていない関連する論文にもレフリーの立場から目を通す必要がある。自分の研究テーマとは少し離れたところの研究の流れをつかんでおく必要がある。ある意味では、自分で論文を書くよりも大変な作業であった。できる限りの時間を割いてこの仕事に望んだが、これのおかげで自分が活動している分野の全体がおぼろげながら眺められるようになり、自分の研究の位置がそのような論文審査の中でさらに明確になっていくように感じた(ただし出来の悪い論文が廻ってきた時にはもちろんそうはならない)。いろいろな意見を聞くが、私はこのような査読を今の研究分野で活動している自分の自然な義務であると考えている。自分の研究の水準を維持し向上させるためには、分野全体の向上が不可欠だからである。
 決してよい例だとは思わないが(そして、幸せなケースだとも思わないが)、何かの理由で国内での活躍の場所がどうしても見つけられない時には、海外からの評価を求めるのが研究者としてのひとつのやり方なのかも知れない。


 この会議ではさらにもうひとつ、本場のワインの美味しさを知り、ある一定の水準までは目覚めたように思う。同時に、フランス人の生活と人生を垣間みて、私の知らなかった世界と価値観のあることを知った。数年後、ストラスブールの研究所でクリスマスを祝う集いが開かれた時のこと、歴代の職員が勢揃いし、そこに招いていただけた(その研究所はフランシウムを発見したペレーが開設した。彼女はキュリー夫人の最初の学生だった)。その場で施設長が私のことを「特別なゲスト」と呼び、「フランス語を喋りそれを理解し、ワインを好みその味を理解する日本人」と皆さんに紹介してくれた。そのような言葉をもって私を受け入れてくれていたことが心から嬉しかった(紹介の前半分はかなり怪しいところもあるのだが)。ストラスブールが私の二つ目の故郷だと思えるようになった瞬間であった。
 最初に乗ったTGVはブザンソンまでであったが、その後もストラスブールまでその旅が続いていたように思っている。


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 トラン・ア・グランド・ヴィッテス(Train à Grande Vitesse)。直訳だと、「高速度の列車」であり、なんだか味気ない。今年の夏には久しぶりにフランスでの国際会議に参加できそうである。過ぎた時間の分だけは歳もとったが、ある企てをもって、少しだけ新しい分野に挑戦したいとも思っている。うまくいけば、この6月に開通したパリ東駅(Gare de l'est)からストラスブールまでの新線を、その新しいTGVで旅する。ベソをかかずに、でも子供の頃も思い出しながら、さらにその先にも進みたい。


「さあ、切符をしっかり持っておいで。
おまえはもう夢の中の鉄道の中ではなしに、
ほんとうの世界の火やはげしい波の中を 
大股にまっすぐ歩いて行かなければいけない。
天の川のなかでたった一つのほんとうのその切符を 
決しておまえはなくしてはいけない。」


 ちなみに会議のあるノルマンディー地方の街は、ワインよりもシードルやカルバドスが有名であり、大阪のホルモン焼きを思い出させてくれる牛の胃袋料理もあり、それは私のお気に入りのひとつになっている。

 ところでジョバンニ君、お土産のご注文はもうお聞きしましたっけ。



(T. Y., Fukaeminami-machi, Le Quatroze Juillet 2007)