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キャンパスライフ

教員のエッセイ

「大学院生の頃(完)」

 大学院生はその後、夫となり父になった。そしてある日、妻子を置き去りにして単身でフランスに留学した。学生の時の第二外国語はドイツ語だった。指導教官だった先生や先輩の行かれていた留学先はドイツだった。そのような中にあって、機会があればドイツに行くつもりにしていたような気もするのであるが、いつの間にかフランス語をかじりはじめ、友人のいるストラスブールでその10ヶ月を過ごした(几帳面なゲルマン系の血が流れていると思われていたような時期もあったが、実際にはどうやらラテン系であった)。英国ロンドン大学の先生への感謝の念も忘れてしまい、研究テーマもいつの間にか変わっていた。


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 石像を見て風を感じたことがある。パリ、ルーブル美術館のダリュの階段踊り場におかれているニケ像を見た時のことだった。サモトラケ島で見つかったこのギリシャ時代の有翼の勝利の女神像を前にして、時間を忘れ、息も忘れそうになったことがある。構成上、彼女は風に向き合って立っているのであるが、不思議なことに彼女の方から吹いてくる風に飛ばされないように踏ん張ろうとする自分がいた。彼女から風が吹いているように感じたのだ。紀元前2世紀頃の作と言われているが、人間美という言葉だけではとても形容できない、動的な美しさを感じた。力強さと美しさの共存。ルーブル美術館を訪れる度に、この歳になってもダリュの階段に近づくと初恋の人に再会するような気分になり胸の高鳴りが押さえられないでいる。もしもルーブルからどれか一つを選べと言われるならば、私は迷わずこのニケ像を選ぶ。


 ストラスブールに滞在している間に何人かの日本人と会える機会があったが、研究所内で会うことができたのは一人だけであった。こちらの大学の修士課程に留学していたある大学の女学生だった。実は私が「受験勉強の頃」に行きたいと思っていた大学だった。そして驚いたことに、「大学院生の頃」に進学したいと思っていた専攻の院生であった。学生時代、物理学と数学を独学で一生懸命に勉強していたが、できればその大学の大学院に入りたいと思っていたからだった。結局、その大学院受験はできなかった。英語論文に悪戦苦闘していた自らの修士課程を思い出しつつ、フランス語で普通に講義を受けて、フランス語で普通にレポートを書き、フランス語で級友と語らっている彼女の姿を見て、やはり私には行けないところだったのだろうなと素直に認めることができた。その能力はもちろん、行動力に脱帽した。キャンパス内であれこれ考え悩んでいるしかできなかった私とは比べてはいけないな、とも思ったのだった。彼女にニケ像に感じたものと同様な風を感じた。そのような努力を美しいと思ったのだ(ニケ像の場合にもそれを創ったであろう、工芸家達の技術とそれを獲得した努力・作品の発想力に感動を覚えているのだと言えるかも知れない)。一度彼女と帰宅時間が一緒になり、ロトンドからオンデフェールまでトラムに乗った。何を話したのかは忘れてしまったが、とにかく日本語が(しかも関西弁が)話せたのが快感だった。近くにいたある男性が「私は幾つかの国の言葉を知っているが、あなた達の言葉は分かりません」と私たちに話しかけてきたことを覚えている。おそらく大声になっていたのだろう。楽しいひとつの思い出である。


オンデフェール駅
オンデフェール駅。マーケットが開かれトラムが運休になったある日。

 彼女の日本での指導教官がされている研究の話をしてもらっていると、なんだか懐かしい専門用語が出てきた。ネット上でその先生の最近の論文を探すと私が「大学院生の頃」に投稿していたジャーナルであった。そして、その論文の参考文献の中に私がかつて書いた論文が含まれていた。私は驚きつつも幸福な気分になった。彼女は私を見直したというようなことをついうっかり口走った(じゃ、さっきまでどう思っていたの)。投稿してから10年が経過していた。調べてみると結構な数の引用が他にもあった。全然知らなかったけれども、英国の先生に引用して頂いた後も、私の「大学院生の頃」の論文は何人かの研究者に読んでもらえていたのである。私が選んだ研究テーマとその成果は、十数年の大きな研究の流れの中での位置づけをようやくもらえたのだった。そして、その当時、考え悩んだことも決して無駄ではなかったのだろうと思えるようになった。風を感じさせるまでにはまだ遠いが。


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 私の「大学院生の頃」はここまで。そのささやかな経験では、かつて憧れていた大学や大学院には行けなかったが、私の書いた論文をそこの先生に引用してもらうことはできた。研究はどこにいてもやれる、このような例のあることも分かってもらいたいと思いこれを書いた。もちろん、その人の他所の大学院に行きたい気持ちを他人が押さえることはできない。その場合には大学名ではなくて研究テーマの中身をしっかりと考えてほしい。私自身には、皆さんにむしろここの大学院で学位を取りたいと思ってもらえるような魅力のある研究をして、それを見てもらうしかない。ただ、理屈ではそうだとしても、大人になれない心には、寂しい気持ちが残るのだ。


 大学院入試の直前に私の心に大きな穴をあけたのは、ある人との別れだった。それがその人の心に私がもっと大きな傷を与えていた結果だと考えられるまでには少し時間が必要だった。その時以来、院試に絡む人との別れには少しだけ敏感になっている。風を感じさせるような人だとよけいに。


 大学院入試で、そして大学院でも頑張ってください。孤独だった大学院生は、いつのまにか大学院生を励ます立場になっていた。



J'amierai toujours le temps des cerises,  
C'est de ce temps-là que je garde au cœur  
Une plaie ouverte…  

(私はいつまでもサクランボの実る季節を愛する。
私の心の中に傷口が開いてしまったのは、
サクランボの実る季節だった。)



(T. Y., Fukaeminami-machi, 21 Juin 2007)