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キャンパスライフ

教員のエッセイ

「完璧なヨーロッパ人」

 ニューヨークやジュネーブと比べると、ストラスブールはそれほどよく知られている街とは思えない。しかし、この3つの都市には共通点がある。一国の首都ではないが、国際的機関の本部、あるいは、主要な建物が置かれているのである。ストラスブールに置かれているのは国連ではなくて、欧州会議場である。この意味では、ここは「ヨーロッパの首都」なのである。20世紀までのヨーロッパの歴史は、隣国間の戦争と侵略との繰り返しである。特に、フランスとドイツとの間の争いの歴史であった。その反省に立つとすれば、ストラスブールは欧州の首都に相応しいと言える。それだけの悲しい歴史がこの街にはある。こちらで買ったストラスブールの歴史書に、ここの大聖堂が一面の「ハーケンクロイツ」で飾られている写真が掲載されている。その写真を見ているだけで、気分が悪くなった。しかし、それはそれほど遠くはない過去、私の父母が幼かったころの写真である。日本はそのようなドイツとの同盟国であった。

欧州会議場
欧州会議場(入り口付近から)

大聖堂の階段から
大聖堂に登る階段から見た欧州会議場(左上)。
右手の2本の尖塔はセント・ポール寺院。

 ヨーロッパの平和を守るための試みは、石炭や鉄鉱石を共同して管理する構想にはじまり、それは今の欧州連合(EU; European Union, UE; Union Europhéen)に引き継がれている。彼らは域内での戦争を妨げる現実的なシステムを構築する努力を続けているのである(色々の粉飾や脚色が行われているが、現在の戦争の本質も、つまるところ石油資源の争奪である)。その意味からすれば、「完璧なヨーロッパ人」は、まず平和主義者でなければならない。しかし、それだけでは十分でない。近くの土産物屋で見つけた「御盆にある記述」を紹介しよう。


完璧なヨーロッパ人

 完璧なヨーロッパ人は、イギリス人のように料理しなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、フランス人のように車を運転しなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、ベルギー人のようにいつも働いていなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、フィンランド人のように話好きでなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、ドイツ人のようにユーモラスでなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、ポルトガル人のように最新の技術に詳しくなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、スウェーデン人のように融通がきかなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、リュクセンブール人のように有名でなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、オーストリア人のように忍耐強くあらねばならない。

 完璧なヨーロッパ人は、イタリア人のように抑制がきかなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、アイルランド人のように禁酒しなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、スペイン人のように謙虚でなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、オランダ人のように気前がよくなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、ギリシャ人のように用意周到でなければならない。

 完璧なヨーロッパ人は、デンマーク人のように思慮深くあらねばならない。


 「完璧なヨーロッパ人」になる道は険しそうである(?)。しかし、ギクシャクしながらも、このような冗談が「売り物」になる程度には、ヨーロッパ人達は互いのことを認めあっているのである。


 まだ丁寧には読めていないが、最近こちらで出版された本に『日本、奇跡か幻か』というのがある。その表紙には「BANZAI!」と叫ぶ旧日本軍航空隊のさし絵が描かれている。このイメージは非常に強かったと思う。しかし、私と同世代かさらに若いこちらの友人になると、日本人のことについて、非常に高品質の車や電化製品に囲まれて暮らしているというイメージを持っている。似たような印象はエジプト人も持っている。キリスト教が支配的でなく、白人系でもないアジアの一国が、合衆国よりもいい品質の電化製品や車を作っているのは素晴らしいことである、というようなことをカイロを訪れた時に町中の人達から言われた経験がある。おそらくこれと同様な印象は、イスラム教圏ではもたれているのではないかと思う。しかし、これは第2次大戦後からの60年間の日本の振る舞いの結果である。それは、政治によって、いつでも、どこまでも変えられること、ひき戻されることも可能である。


(T. Y., Strasbourg, 22. Janiver 2004)