【有史以前のトルコ】
紀元前7000年頃
早くも原始的な農耕社会
トルコはアジアとヨーロッパを結ぶ要衝の地
最も初期の段階を示す遺跡はアナトリア高原
南西のハジュラルで発見され、集落跡からは小麦や豆類のほか、ヤギやヒツジなどの家畜の骨も発見された。
紀元前6500〜5600年頃
同じような遺跡はコンヤ近郊のチャタル・ホユックでも発掘され、住居跡から牡牛の角をまとった神室や、狩猟、舞踊などの様子を描いた彩色壁画が出土。これらの壁画はハジュラルで発掘された彩色土器とともに人類の貴重な芸術的遺産とされ、古代人の生活様式や宗教観を知る手がかりとなった。
 アナトリア一帯は青銅器時代に突入し、エーゲ海沿岸のトロイに第l期の都市が構築。
 ドイツの実業家シュリーマンが発掘し、世紀の大発見と騒がれたトロイ遺跡はこれより500年ほど下った第 2 市のもので、王冠や装身具など大量の金銀製品が出土した。
 シュリーマンはギリシアの叙事詩人ホメロスの語ったトロイ戦争(紀元前13世紀頃の出来事とされている)を史実と信じて発掘を開始し、見事に古都の存在を立証した。
 一方、アナトリア内陸部には、紀元前3000年紀前半にハッティと呼ばれる人々が定着し、ヒッタイトに征服されるまでの約1000年間、この地を支配した。
 彼らハッティは、ほかのアジアや地中海圏で使用されるどの言語とも異なる独自の言語を使用し、鉄の精錬法を編み出した。
紀元前3000年頃
トルコの歴史@/東西文明の十字路、トルコがたどった劇的な運命