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キャンパスライフ

教員のエッセイ

「クリスマスを前にして」

 12月25日のクリスマスは、フランスではノエル(Noël: eについているのはトレマ)とよばれている。公休日のひとつである。キリスト降誕祭、すなわち、イエス・キリストが生まれた日だとされているが、歴史学的な裏付けはないようである。宗教的な意味合いからすれば、復活祭(イースター)の方が重要視されるべきではないかと思うが、ここフランスでもクリスマスの方が盛大に祝われている。ちなみに復活祭のことは、フランスではパク(Pâques: aについているのはアクサンシルコンフレックス)という。


研究室の窓から
写真1.研究室の窓から(12/10)。白く積もっているのは雪ではなくて霜。

 クリスマスが始まる以前から、12月25日は「太陽の誕生日」として祝われていたという話を聞いたことがある。こちらの太陽は日本とは多少異なっている。もちろん、感じられ方がである。私が今滞在しているのはフランスの北東部にあるドイツとの国境の街、ストラスブールである。日本と比べて緯度の高い欧州では、冬至の頃の日はいっそう短く感じるし、実際に短い。夏のバカンスが終わり、9月と10月には休日はなかった。11月に入ると木々は次第に紅葉し、それはたちまち落葉となった。12月にはいり、氷点下の日が続く。今朝、目が覚めると外は真っ白。雪ではなく、霜のようである。木々の枝はそれらの小さく細い先端までが白く凍りつき、赤い屋根と言えども今日は白くなったままである。昼になっても気温は上がらず、芝生もその黄緑色をほとんど失ったままにおかれた。大半の木々が葉っぱを落としたのと対照的に、もみの木は、緑のままその白い衣装を軽くまとっている。このような常緑のもみの木が、信仰の対象になったのはよく理解できる。豊かさの象徴なのだろう。


クレベール広場
写真2.クレベール広場に置かれたもみの木。右手の塔は、大聖堂のもので高さ142m。残念ながらここ数年の間は補修作業中。

 今年の夏は暑かった。その夏の間、フランスの友人はなるったけ日光を浴びようとしていた。私はそれを避けたのだが、欧州の初冬を初めて体験し、太陽を求めるその人間としての、あるいは動物としての生理的な欲求を理解した気になっている。その夏の日差しがなくなって、曇りがちの日が続き、気持ちもだんだんと沈んでくるような、そんな日々が続いていた時に、市内のクレベール広場に1本のもみの木が現れた。

 その高さは7階建ての建物とおなじくらい。少しずつ装飾が施され、クリスマス・ツリーになった。しつこくフランス語で言うと、アルブル・ドゥ・ノエル(arbre de Noël)。どうせ観光客目当てでやっているのだろう、と冷淡な態度をとっていたのだけど、その周辺に、そこだけでなく街中に小さな小屋が幾つも立ち、クリスマスの飾りや土産物が売られるようになり、バン・ショー(vin chaud: 暖かいワイン)の香りが立ちこめるようになると、なんだか気持ちの方から暖かくなったのである。もちろん、バン・ショーをもらうと更に効果抜群である(日本で言えば熱燗だろうか)。
 ノエル、すなわちクリスマスは、春を待つために、人々を元気づけるための「祭り」なのであろう。やはり12月25日は「太陽の誕生日」なのである。たとえ数ヶ月の間、寒さはより厳しくなるとしても、この日から太陽は日々より強く輝くようになるのである。キリスト教徒でない私は、今はこのようにクリスマスを理解している。そして、全ての人々にこの「祭り」が必要であると思うようになった。

 「クリスマス休戦」という言葉がある。その昔、堺で対峙していた織田信長と松永久秀との間にもこれが有ったと聞く。今の日本のクリスマスとは全く違ったものが、かつての日本にはあったのかも知れない。この言葉を知ったのは1970年代のことだった。ほとんど裸の状態で、素足で国道を走るベトナムの子供達とその背後にいた兵士の姿は、小学生低学年だった私にとんでもないショックを与えた。そしてその子供達だけでなく、兵士達にもまた深刻な後遺症が残っていることは、かなり後になってから知った。
 歴史上「クリスマス休戦」が何かの成功をおさめたことはないのかも知れない。おそらく無いのだろう。それでもあえて「クリスマス休戦」を考えたい。全ての兵士が自分の国に戻り、その家族とともにクリスマスを祝い、春の到来を祈るのである。素晴らしいことではないか。


夜のアルブル・ドゥ・ノエル
写真3.夜のアルブル・ドゥ・ノエル。


(T. Y., Strasbourg, 10. Dec. 2003)