地下宮殿 (イェレバタン・サルヌジュ)
Yerebatan sarnici
都市において「水をいかに確保するか?」は昔からの大問題。イスタンブールも例外ではなく、ローマ時代にはよく水不足に悩まされたそうだ。それを解決したのが、ビザンチン時代に造られた地下貯水施設。なかでも最大規模の地下貯水池(イエレバタン・サライ)は、メデューサの首の発見もあって、1987年(昭和62年)から一般公開され「地下宮殿」の愛称で親しまれている。この貯水池が造られたのは6世紀。当時、街の中心だったアウグストゥス広場の西に立つストア・バシリカの地下にあった。裁判所も入った公会堂だったこの建物は、最初コンスタンチヌス一世(在位518〜527年)の時代に建てられたが5世紀に焼失し、ユスティニアヌス1世の時代に再建された。地下の貯水池もこのとき増築されたもの。水は黒海に近いベオグラードの森の水源から約20qにわたってひかれた。地下宮殿が一躍有名になったのは、貯水池の北側の奥に並ぶ2本の柱からメデューサの首(頭部像)が発見されたためである。
【ギリシア神話のメデューサ:ゴルゴンという三姉妹の末娘で、ポセイドンの求愛を受けたことからアテナの怒りをかい、飛び出した目、髪の毛の一本一本が生きた蛇、真鍮の翼と鈎爪、魚の鱗のような体という醜い怪物に変えられてしまう。以来、彼女の容姿を見た者はみな石になったとか。最後に英雄ペルセウスによって首を落とされる。】
メデューサの首は、その恐ろしい姿から侵入者を防ぐ魔除けとして、門柱などに据えられることが多かった。地下宮殿では柱の基石として、一つは逆さ、一つは横向きで使われている。列柱と柱頭アーチとドームは煉瓦造り、列柱は花崗岩の円柱がほとんどで、アヤソフィアなどでも見られる草の葉を想わせる浮き彫りが施されたビザンティン式柱頭が付いているのが特徴。また、列柱の中には、「涙目の円柱」と呼ばれる珍しい柱もあって、その独特な模様はライトアップされている。

(地下宮殿・メデューサの首)

(PHOTO By Capt. T.HIROHAMA)